はじめまして!
愛知、バージニア、ミシガン、鳥取、愛媛を転々としてきて、今秋からアメリカニューヨーク州にあるコロンビア大学に進学予定のしょーごです。一番興味がある食べ物は明治ブルガリアヨーグルトLB81プレーン400gです。(いつか一人で400g完食したいな、と思ったりしています)
さてそんなことはさておき、今回は僕がコロンビア大学を志望した理由について大きく3つ、紹介していきたいと思います。
1. 直観的な包容力
高2の2月、ちょうどコロナがアメリカに入り始めた頃で、「アジア人である自分」を嫌でも強く意識させられる中、僕はキャンパスビジットも兼ねて1週間渡米をしました。最初の訪問先はニューヨーク。地方育ちの僕にとって世界一の大都会の存在感は凄まじく、到着前は「財布落とさないようにしないと…」「地下鉄ちょっとこわいなあ」と正直結構ビクビクしていました(笑)。しかもいざ到着してみると全方向から降り注ぐ人工的な光、鳴り止まない音、そこかしこに密集したビル群。「ごちゃっ」という響きが似つかわしく、かっこいいしキラキラしているけど4年間の大学生活を送りたい街ではないな、という第一印象でした。
しかしニューヨーク滞在2日目、僕の1日目の感想はものの見事に吹き飛ばされます。昼食後向かったコロンビア大学モーニングサイドハイツキャンパス。114番ストリートから門をくぐって大学構内に入ろうという時に一柱の湯煙が道路脇からシューッと立ち昇るのが視界の片隅をかすめました。それを見て連想したのは自分の遊び場だった日本の温泉街。予想だにしなかった場所で懐かしい光景を再発見し、その瞬間直観的にではありますが、ニューヨーク、ひいてはコロンビア大学が一気に身近な存在に感じられました。この光景、この音に再び巡り会いたい、こんな素敵な再発見に詰まった街を自らの「日常」と呼びたい。あの瞬間、論理を超克した感情的でrawな何かが自らの心に訴えてきたような気がします。
その晩はニューヨークでクリエイティブ関係のお仕事をされている方と夕食をともにさせて頂いたのですが、彼がおっしゃった次の一言が僕の昼下がりの直観的な感触をより強固なものとしてくれました。
「僕はカメレオンのようなものなんだ。日本にいるときは日本人、アメリカにいるときはアメリカ人なわけで。でもこの街は別なんだよ。日本でもアメリカでもない。そんなことは関係ない。ここはニューヨークなんだ。」
冒頭で述べた「アジア人である自分」への自覚。”If I close my eyes, you sound like an American”と近所のおばあちゃんに言われた小2の頃のほろ苦い記憶。「タムは完全には日本人じゃないから」悪気がないのはわかっていたけれど幾度となく友人にかけられた言葉。小学生の時から抱えていたアメリカ人にも日本人にもなりきれない自分に対する交錯した感情が、この方の一言で少しずつ溶けていきました。特定の何かになりきる必要はどこにもなくて、ただ自分でいればそれでいい。ニューヨークの、と言うと大袈裟かもしれませんが、この圧倒的な包容力に僕は惚れたのでした。
「僕この街に恋をしてしまったみたいです。」
帰り道、そう先輩に告げたのを覚えています。
(この門を左に曲がってすぐのところで湯煙が立ち昇っていました)
2. コア・カリキュラム / 芸術へのアクセス
ギリシャ古典から始まり、近代までの文学、歴史、政治、経済、宗教、社会学の分野の代表的な古典・名著を読み、15人程度のクラスでディスカッションを通して学ぶコア・カリキュラム。コロンビア大学では全員必修となっています。僕自身はまだ経験していませんが、扱う作品に対する興味も立場もまちまちな集団が一堂に会し、2年という歳月をかけて数々の書物と向き合う、という姿勢に惹かれました。同一作品に対する多様な解釈に触れ、学生時代に自らの視座を広げるのみならず、仲間とともに真剣に読み込む過程を通じて先人の言葉を自らのうちに染み込ませ、人生を通じて自らのうちでの同じ言葉に対する解釈の変遷を楽しんでいくーその礎としたい、とも思っています。
芸術作品への充実したアクセスもコロンビア大学を志した大きな理由の一つでした。ニューヨーク市内の豊富な美術館、博物館、オペラハウス、ブロードウェイへのアクセスを最大限活用し、芸術と触れることで自らのうちで顕在化・言語化される以前のうねりとも言える感情的高揚、あるいはどこまでも下へ下へと続いているように思える自らの感情の深淵と向き合い、それを味わう4年間にしたいです。
3. 神経科学を学ぶ上での最高の環境
アカデミックにもコロンビア大学は僕にとって最も心惹かれる環境でした。
「人間の抽象的思考のアルゴリズムについて知り、それを生物学的言語で表現したい」
高1頃から感触としてわかっていたものの受験後にようやく言語化まで持っていけた僕の夢です。進化を経た神経系は極めて合理的に情報を処理します。その精緻な論理に支配された「アルゴリズム」の解読に日々世界中の研究者が挑んでいます。しかしそれらはあくまで一生化学的過程であるという大前提に基づいているのです。カクカクした「論理」を突き止めたいけれど、最終的なその表現の形態は生命の持つ「やわらかさ」に依拠したものにしたい。コロンビア大学の神経科学研究所であるZuckerman Instituteにはbiology, chemistry, physics, computation, engineering等多種多様なバックグランドを持つ専門家が “Deciphering the Brain”という共通の目的のもと集っています。コンピュータを用いてアルゴリズムを組んでいる人の横でマウスの神経細胞の染色を行っている人がいて、その横にはショウジョウバエを用いた実験をしている人がいて…学部1年から神経科学のために捧げられた環境の中で多くの研究手法とその生の過程に触れ、インプットの学びを最大化させるとともに、自らの解像度の低いアイデアについても先生方にぶつけ、厳しいフィードバックを頂きながら、試行錯誤を通じて解像度を上げていきたい、成長していきたいと思っています。
(ちなみにこれは合格後の話ではありますが、Zuckerman Institute主催のシンポジウムを視聴した際、先生方の知識量、議論のスピード、質問の鋭さ…あらゆる面で圧倒されて、大学生活が以前に増して楽しみになっています!!!)
少し硬めな内容となってしまいましたが、以上が僕がコロンビア大学を志した理由の一部分でした。当然もっともっとコロンビアの好きなところや惹かれるところはあるのですが、それらについては是非入学後により深い内容も絡めてご紹介できたら!寮生活やシティーライフ、授業についてまだまだ知らないことだらけなことですし(笑)!(あとfoooood)
早く秋にならないかなあ…
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